1966年当時、日野自動車が米国における日野ワークスといえるチームサムライを率いていたピート・ブロック氏(あのヒノ・サムライのデザイナー)。彼からの要望もあり、レースで勝つ事を目的として製造されたのがコンテッサ1300Lです。通常のコンテッサの生産ラインを一時停止し、薄い鉄板を使ってボディをプレス。サイドウインドーのアクリル化、内装の簡素化、バケットシートへの変更等も施し、20台のみ軽量ボディの特別なコンテッサクーペが作られました。これがLの由来で、実に100kg以上の軽量化に成功しています。 製造されたLは、用途が競技目的に限られるため、一般車両と別管理。工場のとある場所に長く保管されてきた経緯があります。コンテッサクラブのエキスパートの方々ほか友人達のおかげで、2003年に復活。日野自動車からも1966年製造の証明書を発行して頂き、晴れて新規登録され、生誕後実に38年目にして初めて日本の路を走り出しています。